中四国の名建築を楽しむ

中四国の名建築の一つ建築家丹下健三による今治市庁舎

中四国の名建築を巡る

中四国の名建築を楽しむ

中国、四国地域には村野藤吾や前川國男、丹下健三をはじめ様々な建築家が、地元の気候や景色など地域の風土を生かした特徴のある施設をつくっています。地域の景色に溶け込み佇んでいる名建築を紹介いたします。


宇部市渡辺翁記念館 

建築家 村野藤吾
山口県宇部市(1937年)

宇部市発展の基礎をつくった渡辺祐策翁の遺徳を記念して、翁の関係した7事業各社の寄付を得て、つくられた公会堂。建築家村野藤吾氏にとっては初めての公的施設。戦前につくられた宇部市渡辺翁記念館は村野独自の建築スタイルを確立し、「私の出世作」となった。
 

広島平和記念資料館 

建築家 丹下健三
広島県広島市(1951年)

旧制広島高等学校在学中にル・コルビュジエのソヴィエトパレス計画を知り感動した丹下健三は建築家に進む道を決意。そのソヴィエトパレス計画は丹下健三の平和記念公園と原爆資料館設計の源となり、被爆者への鎮魂と世界平和への決意を空間として表現し、建築家丹下健三の出発点となった。
 

世界平和記念聖堂 

建築家 村野藤吾
広島県広島市(1954年)

被爆者でもあったフーゴ・ラッサール神父の熱意によって始まった被爆者のための霊を慰める聖堂計画。神父は日本的な聖堂を希望し設計案のコンペが実施されましたが、コンペの結果は「1等該当なし」となった。
 

香川県庁舎東館 

建築家 丹下健三
香川県高松市(1958年)

ル・コルビュジエが確立したコンクリート造りの手法と日本の伝統的な木造建築様式を大胆に融合させた名建築で、広島平和記念資料館、東京都庁に続く、丹下健三の初期の傑作と謳われています。
猪熊弦一郎の壁画と丹下研究室の家具が設置された県庁舎1階のロビーや南庭は味わい深い空間となっています。

今治市公会堂・今治市役所

建築家 丹下健三
愛媛県今治市(1958年)

建築家丹下健三の故郷今治市には今治市役所を中心とした建設群が存在している。特に今治市公会堂の美しいプロポーションの折壁構造や市役所の巨大遮光ルーバーなど「神々の尺度」を持った建物は見応えがあるものとなっています。
 

旧倉敷市役所 

建築家 丹下健三
岡山県倉敷市(1960年)

洗練されたモダニズムに民衆のパワーを取り込んだダイナミックさを統合するような建築に舵をきっていった建築家丹下健三。倉敷市庁舎はダイナミックさを取り入れた最初の市庁舎であった。
 

旧岡山県総合文化センター

建築家 前川國男
岡山県岡山市(1961年)

旧岡山総合文化センターは、戦後復興を遂げ高度経済成長に向かう時代に、岡山の人々が文化を求めた熱い思いに応えた建築家前川國男によるモダニズム建築であった。
 

旧香川県立図書館 

建築家 芦原義信
香川県高松市(1963年)

旧香川県立図書館は芦原義信が設計。芦原義信は、坂倉準三建築設計事務所で経験を積み、アメリカハーバード大学大学院に留学し、卒業後はマルセル・ブロイヤーを師事した。打ちっ放しコンクリート、雁行する敷石、スキップフロアーなどを見事に表現した芦原義信氏の初期の傑作。
 

旧岡山美術館

建築家 前川國男
岡山県岡山市(1963年)

旧岡山美術館(林原美術館)は、実業家林原一郎が収集した東洋美術コレクションや池田家の大名調度品を収蔵した美術館で、岡山城二の丸屋敷の対面所跡につくられました。美術館は、近代建築でありながらも、周辺建物や環境と調和した日本の伝統的建築を折衷させた建物で、成熟期を迎えた前川國男の転換点となりました。

 

倉敷国際ホテル 

建築家 浦辺鎮太郎
岡山県倉敷市(1963年)

実業家大原總一郎と建築技師浦辺鎮太郎によりつくられた倉敷国際ホテルは、倉敷の町並みや景観を意識し、倉敷にふさわしいホテルであった。70室の客室と小さいながらも、世界に通ずる品位と風格をもちながら、居心地の良い、寛いだ雰囲気の空間となっていました。
 

旧香川県立体育館

建築家 丹下健三
香川県高松市(1964年)

旧香川県立体育館は、吊り屋根を支える巨大な縁梁と側梁、スタンド床を支える格子梁が特徴。国立屋内総合競技場は同時期に同じコンセプト、同じつり屋根構造で造られた双子の建物と言われています。また、共にル・コルビュジエの影響を受けているものの、県立体育館はブルータリズムな建物となっており、全く異なる造形に至っています。
 

津山文化センター

建築家 川島甲士
岡山県津山市(1965年)

瀬戸内の名建築の一つ建築家川島甲士による津山文化センター

津山文化センターは、隣接する津山城跡の壮大な石垣の一角に、完璧なグリットにより割り付けられた斗栱と上階につれて持ち出された屋根により近代建築に寺社建築をイメージさせた迫力と美しさを兼ね備えた建物であった。
 

旧五色台山の家

建築家 浅田孝
香川県高松市(1965年)

丹下研究室の創設にかかわり、広島平和記念公園などを丹下健三と手掛けた浅田孝は、南極大陸昭和基地などプランナーとして活躍した。そのため「つくらない建築家」と言われた。五色台開発計画の中核的施設としてつくられた旧五色台山の家は数少ない浅田孝によるものです。
 

香川県文化会館

建築家 大江宏
香川県高松市(1965年)

大江宏は、法政大学の校舎でモダニズムの表現で明るく開放的な近代建築を実現しましたが、その後の世界視察によって近代主義建築の理念に対する信奉が揺らぎ、近代主義によって不合理として切り捨てられてきた諸概念の復活を試みました。そして、モダニズムと日本の伝統様式とを決して融合することない「混在併存」を香川県文化会館で初めて表現しました。
 

百十四銀行本店ビル

日建設計工務 薬袋公明
香川県高松市(1966年)

百十四銀行本店ビルは、竣工時には西日本最大のビルで、日本初の緑青仕上げのブロンズ板で覆われた壁面が特徴的。
日建設計工務(現:日建設計)の若きリーダー薬袋公明が中心となって設計し、ロビーは彫刻家流政之氏がデザインしています。
 

坂出人工土地

建築家 大髙正人
香川県坂出市(1968年~)

大髙正人は、1960年に建築家浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、槇文彦氏らとともに新陳代謝する都市のアイデア「メタボリズム」を発表し、大きな反響を巻き起した。大髙正人は、ル・コルビュジエの言説にもあった人工土地という概念を都市空間の創造として坂出市に日本で唯一の人口土地として実現させました。
 

市営基町高層アパート

大髙正人(1969年~)
広島県広島市

市営基町高層アパートは15,000人を収容する巨大な「まち」として構想された。設計は坂出市人工土地の実績により指名されたル・コルビュジエの孫弟子大髙正人。ユニテ・ダビタシオンの影響が随所で見られます。
 

直島小学校

建築家 石井和紘
香川県直島町(1971年)

香川の名建築の一つ直島小学校

直島小学校は、斯界の権威者である東京大学吉武泰水教授に依頼し、研究室の石井和紘により手がけられた。自然の景観との調和を図り、子供たちの創造力や豊かな人間性の育成を図る設計となっており、その後の中学校や幼稚園なども手がけていくこととなった。
 

山口県立図書館 

建築家 鬼頭梓
山口県山口市(1973年)

前川國男建築設計事務所で研鑽を積み、神奈川県立音楽堂(1954年)では担当の大高正人のもとで図書館を設計。独立後は東京経済大学図書館、日野市立図書館と山口県立図書館で戦後民主主義の図書館のあり方を確立させました。
 

香川県立丸亀高校武道館

建築家 大江宏
香川県丸亀市(1973年)

丸亀高校武道館は、金子香川県知事から丸亀高校の全面的な建て替えを依頼されて大江宏が校舎、体育館とともに武道館を設計。鉄筋コンクリートの骨組の中に木造の造作をはめ込んでいます。当初は丸亀高校の武道館であったが、現在は香川県の武道館として一般に開放されています。
 

瀬戸内海歴史民俗資料館

建築家 山本忠司
香川県丸亀市(1973年)

瀬戸内海歴史民俗資料館は、香川県庁勤務の建築家山本忠司により設計されました。山本忠司は、香川県庁舎建設などを通じ丹下健三を始め新進気鋭の建築家や芸術家などとの交流を深め地域の活性化を図っていきました。その中で地域に根ざした独自性について考えるようになっていきました。
 

鳴門市文化会館群

建築家 増田友也
徳島県鳴門市(1975年~)

同じル・コルビュジエ建築に憧憬を持った同世代である東京大学教授の丹下健三は神聖な造形美、モニュメンタルな建築を主体とした。一方の京都大学教授の増田友也は哲学的思考に基づく建築論を専門とし静かな存在感を主体としていた。鳴門市文化会館は増田友也による渾身の遺作となった。
 

四国村(四国村ミウゼアム)

建築家 安藤忠雄 建築家川添善行
香川県高松市(1976年~)

四国村(現:四国村ミウゼアム)は、カトーレック株式会社加藤達雄代表が失われつつある日本の伝統的な民家や暮らしの知恵を伝承する目的で開館した民家博物館。
四国の古民家だけでなく彫刻家流政之による「流れ坂」、建築家安藤忠雄による四国村ギャラリーや建築家川添善行が手がけた「おやねさん」など見どころはたくさんあります。
 

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谷口吉生の名美術館

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