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米子市公会堂の魅力を探る

建築家村野藤吾による米子市公会堂

建築家 村野藤吾

昭和の建築史の礎を築いた巨匠

折衷様式建築の修練を積み,近代的な表現技法と,伝統的な建築素材のもつ濃やかな情感を体験として探り当て、古典に近代感覚を自由に盛り込んだ作風と、熟達した実務派として高い評価を得た日本を代表する建築家。

1891年 佐賀県生まれ
1918年 渡辺節建築事務所入社
1929年 村野建築事務所設立
1930年 欧米に遊学
1935年 そごう百貨店大阪本店 
1936年 大丸神戸店 
1937年 宇部市渡辺翁記念館
1949年 村野・森建築事務所へ改組
1953年 世界平和記念聖堂
1958年 米子市公会堂
1959年 旧横浜市庁舎
1959年 佳水園
1962年 尼崎市庁舎
1963年 日生劇場
1966年 目黒区総合庁舎
1984年 11月26日 永眠

渡辺翁記念会館

渡辺翁記念会館

米子市公会堂経緯

米子市民の声をきっかけに、1954年自治連合総会で公会堂建設の要望書が提出され、米子市公会堂創設の契機になりました。翌年には「公会堂建設推進協議会」を設置し、米子市制30周年記念事業として進められた。当初予算は和歌山市民会館に倣った8,000万円とし、そのうち9万人の米子市民が一人一日1円ずつの募金「1日1人1円募金運動」によって3年間で2,500万円の建設費を補填することとなった。

設計の依頼

設計は村野藤吾氏にお願いすることとなった。そして、米子市近くの広瀬町出身の神戸新聞社主の田中寛次氏を野坂米子市長と島薙公会堂部長とで訪問し、神戸新聞会館の設計を担った村野藤吾氏に取り次いでもらった。
村野藤吾氏は、市民の募金を建設費に充てる計画を知り、共感し設計依頼を受け入れた。そして、後に設計料を返上した。
寄付総額は目標以上の5,242万円となったものの、建設費は「同じつくるのなら後世に残るものだし、時代に遅れることのない立派なものに」との求めに応じて諸機能を加えた結果、当初予算の2倍以上の1億7,671万円に及んだ。

世界平和記念聖堂

世界平和記念聖堂(1953年)

米子市公会堂の特徴

米子市公会堂

ホール棟は客席後部を迫り上げ、その下部にホワイエを収めて省空間化を図る合理的な設計とし、客席を支える柱・梁の建築構造をそのまま内外観に表現。左右の壁面も大胆な吊り構造とした、モダニズム建築に特有なダイナミック構造美となっています。ここでは機能性、合理性に軸を据えたモダニズム建築原理に基づいてつくられています。
村野藤吾氏は設計前にアメリカ・ラテンアメリカを外遊しており、ブラジルの教会とグランドピアノのイメージを重ね合わせたデザインとも言われていますが、むしろロシア構成主義に見られるダイナミックさを感じることもできます。
米子市公会堂では相反する要素を共存させることで、新鮮で緊張感のある表現が生まれています。それは、構造的な力強さをもちながら、それを打ち消すようなタイル貼りの薄い被膜のような壁面にすることで、繊細で柔らかな表情を作りだし、荘厳的でありながら、どこか親しみ易さを持った建物となっています。これらは村野藤吾氏の独特のバランス感覚のなせる技で、あえて反対要素を取り入れることでモダニズムの範疇に留まらない、イメージ豊かな建物となっています。

左手のステージから右側の客席が階段状にせり上がっている状態をそのまま、外観としてデザインし、浮いた下部をホワイエとして活用する方法は、村野作品の中でも過去になかった新な手法で表現しています。
 
 

建築家村野藤吾による米子市公会堂

外壁はコンクリートで縁取った間に外装材として赤褐色の塩焼きタイルが使用されています。これは山陰地方特産の石州瓦を特注でタイル型に焼成したものです。世界平和記念聖堂においても、その外観を打ち放しコンクリートでフレーム状に構築し、その間に現地の砂利を含んだセメントモルタルレンガを用いており、この時期における村野作風と共通したつくりとなっています。
その一方で、屋根や側壁は緩やかに湾曲した独特の造形表現となっており、石州瓦のタイルによる外装と併せて、街に対して柔らかな独特の表情を織りなした建物となっています。

塩焼タイル

米子市公会堂壁

塩焼きタイルとは塩を釉薬に用いて照りを付ける製法で、塩素ガスが排出するため現在は使われていません。そのため、2014年の改修工事では石州瓦の技法を用いて約10万枚のタイルを再生させています。

配置構成

米子市公会堂は、将来の米子市の新しい中心街の一角に計画されました。都市改造によって街路を整備し、周辺オフィス街のオアシスとする構想でした。そのため、配置はホールの形状がそのまま外観に表現されたホール棟を敷地奥に配し、事務所や集会室などを内包した管理棟を国道9号線に接して、ホール棟後方に接する交差点側を広く空けて、芝生広場・駐車場など市民のオープンスペースとしています。これにより、一度に多数集まる観客は広場からホールに入り、職員や演奏者などは管理棟から導くことで動線を明確に分離された合理的な建物配置となっています。

建築家村野藤吾による米子市公会堂
建築家村野藤吾による米子市公会堂
建築家村野藤吾による米子市公会堂
米子市公会堂

 

建築家村野藤吾による米子市公会堂
建築家村野藤吾による米子市公会堂

 

米子市公会堂

村野藤吾と米子市公会堂

米子市公会堂は1,200席のコンパクトなホールですが、機能面やロケーションの良さもあり竣工当時は山陰随一のホールとして注目されました。米子市公会堂は、その後旧横浜市庁舎、佳水園、日生劇場などがつくられるなど、村野藤吾氏60歳代半ばの脂の乗った時代に設計された名建築です。
1980年には村野藤吾氏により改修設計されており、村野氏によって2度つくられた建築とも言えます。しかし、2009年に行われた耐震診断の結果、極めて低いことが判明したことに加え、建物老朽化により一度は使用停止が決まり解体が議論されました。保存を求める署名は4万4千筆、市民アンケートの存続45.4%、解体38.4%となり、市議会は1票差で存続が可決しました。
市民の願いと努力によって建てられた米子市公会堂は、市民によって再生され市民の芸術、文化、教育の拠点として現在も大きな役割をはたしています。

 

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