群馬音楽センター
日本のモダニズム建築形成に大きな足跡を残したA.レーモンド氏によって設計された群馬音楽センターは、高崎市民の寄付金を基にして建てられた、日本を代表する近代建築の一つです。
群馬音楽センター誕生秘話
1945年終戦3ヶ月後に立ち上がった「移動音楽教室」活動。混乱した状況のなか、群馬交響楽団の団員たちの音楽の熱い想いが子どもたちの心に響き希望を与えた。その後移動音楽教室は、毎年300校実施するまでとなり、聴いた生徒数は20万人に及んだ。そして、群馬交響楽団の活動が「ここに泉あり」(1955年)で映画化され、それを契機に音楽ホール建設が盛り上がっていき、約3億(当時の高崎市の予算約7億円)の建設費のうち市民の寄付約1億円が集まった。
この楽団を創設し群馬音楽センター建設に取り組んだのが井上房一郎氏であった。そしてこの音楽ホールの設計をA・レーモンド氏に依頼したのも井上房一郎氏でした。
井上房一郎
井上房一郎邸
井上房一郎氏はパリから帰国後は工芸運動に力をそそぎ群馬県輸出工芸協会を創立。1933年ナチスに追われて来日したブルーノ・タウトを助けて高崎に2年間保護。タウトは房一郎氏の工芸運動の理想とやり方に共鳴し、工芸の産業化のために尽くしました。工芸品販売店「ミラテス」を軽井沢に開店。ノミエ・レーモンドが店を訪れたことより夫の建築家A・レーモンドと知り合った。
戦後は群馬交響楽団の設立に奔走。また、県下最初の画材店・画廊「珍竹林画廊」の開店にも関係するなど高崎の文化芸術活動に深く貢献した。
房一郎氏は、A.レーモンドの東京麻布笄町の自宅兼事務所を訪問した際、その美しさに心を動かされていた。その後、房一郎氏の自宅が焼失。房一郎氏は笄町邸を再現しようとし、A.レーモンドに図面の提供を依頼し、つくられたのが井上房一郎邸であった。
ホールの構造
ホールはクラッシク音楽向けであることはもとより、歌舞伎などの古典演劇が上演できる施設であることが求められた。いくつかの試案を経て決定した最終案は舞台と客席の一体化をはかった扇形平面で、蛇腹状の折板と60mスパンの大開口がダイナミックな外観を生み出している。屋根の厚さ120mmのRC折板12組で覆うという大胆な構造であった。
折板構造という折り紙のようにコンクリートの板を折り曲げたような柱や梁ではなく、屏風のような構造が特色です。全体を五角形で包み込む極めて意欲的な造形となっています。
舞台裏のパッドレス
空中には屋根を貫く引張材が見えます。壁と屋根が描く各アーチは同一平面上にはなく前方に傾斜しているため、舞台側に引っ張り転倒を防止しています。舞台側末端は建物後面のパッドレスに定着させています。
舞台裏の楽屋
スチールサッシのガラス窓でスッキリとした透明感のある開放的なファサードとなっています。
建物内部
ロビー
2階は大きなガラス窓によって明るく開放的になっています。また、予算がなかったことよりA.レーモンド氏自筆の原画をもとに市民が色を塗ったフレスコ壁画「リズム」が描かれています。また、レーモンドとノエミ夫妻がデザインしたベンチがガラス窓に沿って置かれています。
ホール
ホールは扇型をした無柱空間で2階席などは設けず、全客席を同一面に配置されています。また、観客と演者・舞台の一体感をはかるため両壁側の階段は歌舞伎の花道のように舞台につなげられています。
ホール内部は全体の折板構造の5角形のままにコンクリートの構造体が露出しています。そのため、音の反響を抑える必要がありベニヤ板が張り巡らされています。コンクリートと木材の隙間に間接照明が埋め込まれており、ホールの形が強調されています。
A.レーモンド氏は、折板構造など本工事は非常に難しい工事であり、地元業者ではなく東京の建設業者での施工を考えていたが、井上房一郎氏の熱意に押され、地元企業の施工に渋々合意。工事が始まると、社員が高崎の市民として誇りをもって熱心に取り組む姿勢を見て東京の建設会社よりはるかに良い仕事ができたと感心したそうです。
記念碑には「昭和36年ときの高崎市民之を建つ」と刻まれ、他の公共建設にはない、当時の高崎市民の誇りを建設にこめられた特別な意味が刻まれています。
A.レーモンドの設計理念
「単純性」「自然性」「 経済性」「 直截性」「 誠実性」に基づいて設計された群馬音楽センターは、折板コンクリート構造の建築であり、薄いコンクリート板がボール紙のように折りたたまれ、壁と屋根の構造として用いられています。垂直の折板は壁に使われ屋根の高さまであり、その壁の同一面が水平に流れて折板の屋根構造を作っています。また劇場としての機能と配置が複雑であったため、A.レーモンドは複雑な機能を打放しコンクリートや木といった一般的で単純な材料を使用し、統一することで内外を調和させる一方で細部デザインにも全体的な統制をとるというアプローチを行っています。
磯崎新氏は「日本におけるモダニズムのもっとも良質な部分をこの建物でみることができる」と語っています。
井上房一郎氏が戦後の荒廃した環境の中、高い理念をもって創設した群馬交響楽団とA.レーモンドによって具現化された群馬音楽センターが高崎市の文化育成に大きく貢献し、現在でも「音楽のあるまち高崎」として全国に知れ渡っています。