京都国立博物館
1871(明治4)年10月、日本初の博覧会である京都博覧会が、西本願寺の書院で開催され、御所の一角に場所を移し、常設の博覧館ができました。その後、京都府は博物館の設置を計画しますが難航し中止となってしまいます。改めて帝国博物館の建設計画が立ち上がり1897年5月1日に片山東熊博士の設計による陳列館「帝国京都博物館」が開館しました。
京都国立博物館
コンセプト
京都国立博物館平成知新館は、収蔵品鑑賞施設だった平常展示館(1965年竣工)の建て替え計画に伴う公募プロポーザルでした。
地域の成り立ちや環境などを重視し、設計に上手く取り込むのが谷口吉生氏の特徴の一つですが、ここではあえて京都らしくない建物として取り組んでいます。それは、この旧帝国京都博物館本館(現明治古都館)が明治という時代に、外国文化を取り入れてつくられたにもかかわらず、今でも大切にされ残っているからであった。設計にあたり、平成という時代を表現しつつ、一過性のものでない、デザイン的にも耐久力のあるものをめざしたのであった。そして、明治という開明期の「動」と平成という成熟期の「静」の時空を繋ぐ交歓を実現させています。
旧帝国京都博物館(現明治古都館)
設計からオープンまで
公募プロポーザルで選定されたのは1998年でした。バブル崩壊後の不況もあり、計画は進みませんでした。2008年度から本格的に予算の処置が始まり、2009年着工。2013年竣工後一年間の乾燥期間を経て2014年9月オープンとなりました。谷口建築では、どのプロジェクトも最初の段階から実際に完成するまで長い期間をかけますが、平成知新館は谷口吉生氏にとっては一番長い年月がかかった建物となりました。
平成知新館
南門
2007年竣工
三十三間堂の向かいに新しい入口として南門がつくられ、ここから南北軸が設定されています。南門は、水平垂直の要素(基壇、壁、屋根)が分離しながら組み合わされており、非常に幾何学的な造形作品となっています。
門からは平成知新館に向かってまっすぐなアプローチが伸びています。シンプルな幾何学的形態となっており、モダニズムの神髄が感じられます。
一方で建物は薄い庇に細い柱、そして障子のようなガラスの窓で構成されており、モダンでありながらも日本的感性が表現されています。日本建築の佇まいを感じさせる「平成知新館」は、煉瓦造りの洋風建築の「明治古都館」と対比されて作られていますが、上手く調和しています。
建物構造
エントランスホール
展示室構成
展示室は3階から1階にかけて一筆書きを描くように下りて巡る構成になっています。来場者は3階展示室を東から西へ、そして折り返して2階へと下ります。
3階から見たエントランスホール
3階のホワイエ
ここでは、企画展のように人が連続して流れていくのではなく、すべての展示室を見なくても、次の展示室を見れるように展示室内外に階段を設けており、一部の展示品だけを見て他の展示室へ出ていくことができるようになっています。それは、来館者は観光客も多いため、時間の制約もあり、今回は一部の作品だけ見学されることを想定してつくられています。
3階エレベーターホールと展示室入口
グランドロビー
天井高8.1mの全面アルミサッシの開口となっており、下2mは透明ガラスとなっており、上部は超透過セラミックプリント複層がはめ込まれています。天井にはトップライトも設けられ、内部には柔らかな光が充満しています。
格子と半透明ガラスが障子のようで中に居ると、庭園へと視覚が水平に伸びていく日本的な空間構成となっています。
谷口吉生による博物館
谷口吉生氏は博物館について語っています。「博物館は、入口から期待感を持って中に入り、そして数々の作品と出合い、去っていく素晴らしい旅みたいなものと思っています。ただ博物館の内部は、すべて過去のものが展示されていて、かなり精神的には暗く感じるものです。歴史の重みを感じるし、場所自体も暗いですから、見終わって最後にロビーに戻ったときに、眼の前に水と緑が広がり、現実の自然と再会することによって生命感がよみがえってくる。」